親愛なる小林啓様。

さくら学院とBABYMETALの制作スタッフの謎を紐解く

ヒゲドライバー氏の苦悩の歴史がBABYMETALに導いたものとは?(その2)

ヒゲドライバー氏の苦悩の歴史がBABYMETALに導いたものとは?(その1) - 親愛なる小林啓様。

(からの続き)

 

「社長」との出会い

ヒゲ氏がそんな苦闘を続けている中、2007年にエイベックス・グループとNTT西日本の資本で、あるレコード会社が設立されます。「ハッチ・エンタテインメント」というレコード会社です。そしてその傘下に、ヒゲ氏も楽曲を公開していたインディーズ音楽配信サイト「muzie」の体制を引き継ぐ形で「LOiDレーベル」が設立されます。

 

ヒゲ氏は自主制作・自主配信の楽曲発表と並行しつつ、2009年後半よりLOiDレーベルからもアルバムを発表し始めます。

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LOiDレーベルの「LOiD」はVOCALOIDの「LOiD」(もしくはAndroidのroid)とも解釈できますが、VOCALOID自体の発表は2007年なので早すぎる命名のように思います。

さて、LOiDレーベルはどんな特色を持った音楽レーベルだったのでしょうか?当時の公式サイトではこんな説明があります。

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・LOiDとは何か?
LOiDはクリエイターのクリエイターによるクリエイターの為の音楽レーベルを目指し、現在も活躍中のインターネットクリエイターと共に設立された、インターネットミュージシャンを中心とする音楽レーベルです。

・現在のLOiD
Youtubeニコニコ動画Myspacemuzie等で活躍中のネット系音楽クリエイターやミュージシャンの総合的なレーベルを目指しています。 ジャンルや流行に捕らわれず、自分たちが「良い」と思ったものを選別し、インターネットを中心地とした展開をしています。また、海外展開としてbeatportやその他配信サイトへも展開中です。

LOiD

 

そして、このLOiDレーベルの中心人物・ディレクターとして働いていたのが村田裕作氏です。村田氏はmuzieの時代からアルバイトとして勤務していたところを、LOiDレーベル設立と共に入社したという経緯のようです。

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http://ascii.jp/elem/000/000/581/581767/index-2.html

村田氏とヒゲ氏とは、2008年には出会っていたようですが、この村田氏こそが後のヒゲ氏が所属するマネージメントオフィスとの「社長」となる人物です。

 

 

諦める前に一度勝負してみよう

2006年に大学を卒業、2008〜9年にはアルバム発表の機会があったにもかかわらず商業的な成功にはほど遠く、この時期(2009年後半からの時期)、プロミュージシャン活動としては大きな壁にぶち当たっていたようです。

なんと音楽制作と並行してRPG(ゲーム)制作にまで手を伸ばしています。(そのサウンドトラックも発表しています)

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この時期の動きのまとめです。

2009年10月28日、コスモドライバー(cosMo+ヒゲドライバー)アルバム(CD)『コスモドライバー∞UP』LOiDより発売。
2009年11月20日、ヒゲドライバー制作、フリーRPG『YAS』発表(配信開始)。
2010年1月25日、3作目となるオリジナルアルバム(配信)『妄想ダイアリー』を自主制作にて発売。
2010年4月3日、4作目となるオリジナルアルバム(配信)『幻想ダイアリー』を自主制作にて発売。
2010年6月23日、フリーRPG『YAS』オリジナルサウンドトラック(配信)『YAS original soundtrack』を自主制作にて発売。
2010年9月18日、初のベストアルバム(CD)『ダイアリー』を自主制作にて発売。
2010年11月24日、5作目となるオリジナルアルバム(CD)ヒゲドライバー3UP』LOiDより発売。
Wikipedia/ヒゲドライバーより引用)

 

LOiDからのCDの発表と並行して、自主制作〜配信アルバムを発表しているのは、この時期iTunes Music Store等からの個人での配信、いわゆるインディーズの配信が広がってきたことが要因であろうと考えられます。(米では2006年頃から、日本では2008年頃からがTuneCore等の仲介サービスの利用が広まります。)

この自主制作の動きもヒゲ氏の懸命の模索の一貫であったのだろうなと想像しています。発表する作品は多いものの、音楽での収入では生活できない状態であったようです。

ヒゲ氏はこのような状況を打開すべく、活動拠点を山口から東京へ移す決心をし、2010年9月に上京します。どのような心境であったかは、後にこのように述べています。

かれこれ、10年前・・・音楽で生活することに、憧れて憧れて。
ネットでピコピコを公開して、少しずつ名前が知られるようになり。
ある会社から声がかかり商業でCDをリリースさせてもらうことになり。
でも生活できるレベルではなく。間もなくCDも廃盤になり、
プロのミュージシャンを諦めかけ。
そして、5年前・・・諦める前に一度勝負してみようと、東京に出てきて。 

自称ミュージシャンの『今日も元気だ、酢だこがウマイ!』:トーキョー5年、ヒゲ10年 - livedoor Blog(ブログ)

 

 

LOiDレーベルの突然の閉鎖

ところが、ヒゲ氏が東京へ活動拠点を移して間もなくの2010年末、突如としてLOiDレーベルの閉鎖が決定します。業績が芳しくないハッチ・エンタテインメントが、経営効率化策として、エイベックス本体に吸収合併することが決定され、LOiDレーベルも閉鎖となってしまうのです。

原因は、リーマンショックと音楽業界の長期的な低迷の煽りなのでしょう。ハッチ・エンタテインメントも収益性がなかなか上がらず、経営合理化の対象となってしまったようです。LOiDレーベル単体の収益性は高かったにもかかわらす。

2010年末、レーベルの親会社であるハッチ・エンタテインメント株式会社は、親会社のエイベックス・マーケティング株式会社に吸収され、レーベルの消滅と全タイトルの廃盤が決定した。インターネット系のミュージシャンにフォーカスしたコンセプトでスタートした会社ではあったが、CDの販売不振には勝てなかったのである

 

かつてAVEXグループ傘下のレコード会社ハッチ・エンターテイメントに、「LOiD」と呼ばれるレーベルがあった。ネット出身のアーティストを起用し、独自の企画で音源化するスタンスで、ファンからの人気も高かった。しかし2010年末、ハッチ・エンターテイメントのAVEXへの吸収合併によりLOiDレーベルも消滅。

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こうして2010年末、LOiDレーベルはヒゲ氏のこの作品を最後に消滅し、発表した作品も全て廃盤となります。ヒゲ氏にとっては2009年のeden'sEに引き続き、またもや参加レーベルの閉鎖となってしまいました。

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LOiDレーベルでは結果を出していたはずなのに。

村田氏の失意が大きかったのは想像に難くありません。

LOiDが終わったとき、一人一人クリエイターに泣きながら電話して、「本当に申し訳ありませんでした」というのをやっていたんですよ。30人くらいだったかな……。

今だから笑って話せるけど、やっぱり3年間レーベルで培ってきたものってあるわけじゃないですか。それが一日でなくなるわけだから。本当にその瞬間はきつかったですよね。

http://ascii.jp/elem/000/000/686/686495/index-2.html

一方ヒゲ氏も経済的には困窮を極めたようで、山口に帰ろうとも考えたようですが、失意の村田氏と「一緒にやる」ことを決意します。

村田 ヒゲさんにはその時、『乗りかかった船だから』って言われて。それで一緒に始めたんだよね

ヒゲドライバー 会社がなくなるってわかる前から、村田さんは何か新しく始めたいって考えたのを聞いてたから、逆にチャンスじゃないっすか、やりましょうよ! っていう謎の楽観力を発揮して(笑)

kai-you.net

 

この一年後に、村田氏がマネージメントオフィス「Tokyo Logic」を設立することになります。そしてその設立メンバーには、村田氏、ヒゲ氏とあともう一人、ゆよゆっぺ氏がいました。

 

 

(この項続く)

ヒゲドライバー氏の苦悩の歴史がBABYMETALに導いたものとは?(その3) - 親愛なる小林啓様。